似てる?シモと横浜中華街
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新潟シモの道は複雑で分かりにくいと、よく言われる。道を歩いてて、どの方向に向かっているか迷わなくなったら、僕も地元民の仲間入りなのかなぁ…って、横浜に暮らして中華街を歩いた時も同じことを思っていた。そうか、街の成り立ちが似ているからか!
道が海岸線と直交している関内周辺で、中華街だけ道が斜めに交差しているのはなぜだろう?と、横浜で暮らした学生時代から思っていた。でもその理由を知ったのは、つい最近のこと。横浜の街の成り立ちはこのサイトが詳しい。
・iPhoneアプリで横浜の時を遡る体験 ー横濱時層地図ー | 地球のココロ:@nifty
http://chikyu-no-cocolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/iphone.html?page=4
もともと横浜はその名の通り、入江の入口に横に張り出した砂州だった。それが江戸時代から内海の部分が徐々に埋め立てられ、今の街ができていった。なかでも今の中華街の場所は、今の石川町駅の辺りから砂州へ斜めに結ぶように埋め立てられ、街路が作られた。だからここだけ斜めに交差しているのだ。
一方、新潟シモ界隈の街がどのように形成されたかは、このサイトが驚くほど詳しい。
・まちあるきの考古学 | 新潟 | 信濃川河口の2つの港町を起源とする町
http://www3.koutaro.name/machi/niigata.htm
入船町や湊町、礎町の一帯について『これらの町は堀割りや街路構成が古町とは異なるので、もしかすると…
新潟シモフルのおんぼろビルに暮らす
11/1 (00:31)