銅谷白洋親子と新潟情緒人形-② 新潟の昭和モダニズム

銅谷白洋さんが新潟情緒人形を作るまでの苦労や経緯は当時の新聞紙上などにも回顧談として語られていますので、それらを引用しながらその道のりをたどってみましょう。

 

白洋さんは平成四年に四屋町2丁目のアトリエ・工房を焼失したときに二代で集めた全国の郷土玩具が相当ありすべて灰燼に帰したそうです。

 

銅谷さんは木地玩具や土人形などの人形類は元々好きだったと思われます。

 

情緒人形に取り掛かった、昭和初期は映画館も弁士がトーキーに変わるころでもあり、銅谷さんの周りも変化をきたしていました。

 

またその頃は…

 

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