VOL8 池田のみ製作所 竹村さん
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いつもご覧になってくださっている皆さま!ありがとうございます!「情熱ある若者大陸」へようこそ!寒くなってきましたね~季節の変わり目は体調管理にご注意を! さて「情熱ある若者大陸」もvol8。・・・そろそろ見てくださっている皆さまの「声」が聴きたいなって思ってます(*´Д`) FacebookでもTwitterでも良いのですし、なんならページの下にある「知ってみたくなった」ボタンから感想を頂いてもオッケーです(^^) 気軽にどうぞ~
すみません・・・長くなってしまいました。それでは参りましょう!「情熱ある若者大陸」始まるよ~・・・さて、今回は、池田のみ製作所さんの竹村さんにインタビューさせていただきました!
竹村さんは、南魚沼のご出身です。三条鍛冶道場の長谷川館長に竹村さんのお話しを伺って、「是非インタビューさせてください!」とお願いしたところ快くOKしてくださいました!竹村さんは高校を卒業されて、すぐに池田のみ製作所さんに修行に来られて今年で28歳。約10年にわたって鍛冶の修行をされています。
野崎:本日はよろしくお願いします。
竹村:宜しくお願いします。
野崎:それではインタビューをはじめていきますね!どういったきっかけで、このまちに来られたかなんですが、高校卒業されて、すぐに来られたんですよね?
竹村:そうですね、今年で10年目なんですが、最初は他にやりたい事も無かったし、出来そうな事もないなぁって思ってた部分もありまして(笑)。
野崎:高校生ですもんね。その時。
竹村:もともと手を動かすのが好きだったんで、なんか美術関係とかも調べたりしたんですけど、たまたま新聞に三条の鍛冶屋さんの記事が載ってるのを、母親が見つけて・・・。「この職人さんに電話したから、ちょっと行ってきなさい。」って言いだして・・・。
野崎:え?!
竹村:高2の時でしたね(笑)
野崎:結構、無理矢理来た感じだったんですね。
竹村:でも、師匠に初めて会った時に面白い方だったので、ここなら何か出来そうだっていう感覚がありました。ここでやってみたいなって、その時に思ったんです。
野崎:それがきっかけで10年続いているんですもんね。僕はまだ、10年経ってないなぁ。
竹村:そうですね、年齢も今年の10月で28歳になりますね。
野崎: あ、質問する前に聞いちゃいましたね。「どんな希望をもって、このまちに来たのですか?」っていう内容だったんですが(笑)
竹村:流れで(笑)!当時の僕は、適正があると思ったのか・・師匠も面白いし。師匠の人柄にひかれて来たんだと思います。そうじゃなきゃ10年続かないですよ。
野崎:こちらも流れで1つ質問飛ばしちゃいました(汗)好きな事とか、趣味とかありますか?
竹村:手を動かす事が好きなので、時間ある時にプラモとか古い時計をいじってみたり。
野崎:古い時計とかですか、それはマニアックな趣味っぽい気がしますね!
竹村:あ、最近バイクも欲しいなって・・・90年代のホンダのCBRが欲しいんですよね。
野崎:おお、バイク良いですね!僕も社会人になったばかりの頃に買いましたよー。
竹村:うん、弟が乗ってていいなぁって。「90年代のCBR(黒)探してます!」
野崎:・・脱線しかけるとこでした・・「このまちに第一歩を踏み出したとき、どんな気持ちでしたか?」
竹村:うーん、難しい質問ですね。とにかくやれる事をやっていこうっていう、という・・がむしゃらな感じですか。目につく事を一つ一つやって、まず考えたりせずに動く。
野崎:なるほど・・・じゃあ、「ここまでに来るまでで、苦しかった時っていうのはどんな時でしたか?」
竹村:毎日ですよ。でもそれって当たり前の事だと思うんですよね。
野崎:じゃあ逆に、これやっていて良かったなぁって部分はありますか?例えば、これは良い仕上がりになったっていう時とか?
竹村:そういう時もありますけど、どっちかというと次を見てるんですよ。その時には。今回はここが悪かったな、次どうしようかって。ココをこうすれば良かったなぁって。
野崎:そういうものなんですね。すごいストイックさというか。
竹村:あとはキツイとこは、気温ですね、気温!
野崎:この地域のですか?
竹村:うん。仕事もそうかもしれませんが、夏は暑いし、冬は寒いんですよー(笑)。
野崎:あー、ちょっと分かります(笑)うちの会社の現場もそんな感じです。
竹村:結構工場によって違いますよね。こっちに来たばかりの頃は他の製作所さんで働かせてもらっていた時期があったんで分かります。
野崎:あ、他の仕事もあったんですね!
竹村:うん、こっちに来たばかりの頃って大してお金も無いので、師匠に紹介していただいて。
野崎:どれくらい仕事されていたんですか?
竹村:3~4年くらいですね。
野崎:あ、弟子入りで来てるわけですもんね。
竹村:後で話そうかと思っていたんだけど、そう。基本的に弟子とか職人って給料そんなに出るものじゃないんですよ。確か三条市の職人への補助が出たのが、3~4年前からなので、それまでは、給料少なかったですよ。
野崎:そういう仕組みになってるんですね・・・知らなかった。
竹村:そこが職人にとっての問題なんじゃないかなって思うんです。僕が変えたい、変わって欲しいっていう部分の1つです。
野崎:どういう事ですか?
竹村:ここだと鍛冶の職人に対してだけど、最近よく「職人のなり手がいない」っていうじゃないですか?
野崎:良く耳にする問題でもありますね。
竹村:でも実際になりたいっていう若者はいますよ。その逆で、受け入れ先が無いんですよ。
野崎:えっと・・・減っていっているという事ですか?
竹村:ううん、そうじゃないんです。受け入れる余裕のある鍛冶屋さんが少ないって事です。普通の企業とかだと、従業員の育成費用とかも売り上げから多少なりとも出るでしょう?鍛冶の職人は作ってなんぼ。という訳ですから、弟子への指導で取られる時間、生産出来ないわけですよ。
野崎:うん・・・
竹村:そういう部分がどうしてもあって、なり手がいても受け入れ先が無いという問題があります。だからその分、商品の価格に添加出来ないと解決しない問題ですね。
野崎:製品価値を上げるってことですか。
竹村:でも・・ここだけじゃなくて、日本の職人さん達は皆そうだと思いますよ。技術はあるし、なり手もいるんだけど・・人を雇えるほど利益は出てなくて。だから補助が出るといっても、まず自分の生活があっての所なので。それで受け入れ出来るっていう場所は、そこそこの規模もあってというようになってしまうと思います。従業員を雇って仕事をさせられるシステムを築いている所は大丈夫だけど、そうでない所の「ものづくり」では厳しいでしょうね。
野崎:うーん、工業化って言ったら良いのかな。何か考えちゃいますね。でも手作業の必要性があるわけですよね?
竹村:うん、これでしか出来ないものがあるんです。自由鍛冶っていう。この形態の仕事は・・材料費はそこまで掛からないんですよね。だから手が止まるっていう事が直結しちゃうんですよね。
野崎:実は来る前に鍛冶について色々調べてたんです。日本でのみ作ってる場所って他にもあるんですよね?
竹村:ですね、東京も名工が集まっていて・・消費地が近かったっていうのもあるかもしれないですが。その名工たちも手で作っていますね。今明治時代の技術がすごいとか、結構周りで言われたりするんですけど、道具の鍛冶もその時代が言われていて。西洋から新しい技術が来たりした時代ですね。
野崎:・・・・(黙って聞きいています。)
竹村:でね、材料も同じで昔は玉鋼とか使っていたんですが、その時代に海外から違った材料が来たりして、炭素量も異なったような鉄が。
野崎:あぁ、それは大変だったでしょうね・・適応するのに・・。
竹村:でも、昔ながらの鍛冶屋さんは鉄を見て、それに合わせた作り方が出来たんですよ。技術的な蓄積があったから出来た事なんですけど、そういったものを取入れて新しいものを作ってきたんです。
野崎:すごいですね・・・
竹村:だから、その時代付近のものは名品とされていて、鑑定に出ても結構良い値がつくらしいですよ。
野崎:逆に釘とかは、洋釘が入って来てシェアが減ったっていうのもありますよね?でも和釘じゃないといけない部分は今でもありますしね。
竹村:そう。そういう職人相手の道具なんですよ。
野崎:のみの木の部分にも違いがあるって、事前の予習で知りましたよ!
竹村:あー、その職人さんも減ってきてるんですよ。もちろん、この地域でも例外なく。
野崎:そうなんですか?
竹村:だから結構大変なんですよ。職人一人でやってる所だと、生産量を上げられないし。のみだけじゃなくて、鉋(かんな)とかあるじゃないですか。その台も同じだと思いますよ。
野崎:職人問題って本当に大変なんですね。今まであたり前だった事が縮小していくっていう感じが・・。
竹村:日本だけじゃなくて、海外でも同じように問題になっているみたいですよ。職人がいなくなるっていう所。ドイツには昔の技術が無くなっているっていう話もあるし。
野崎:なるほど・・。
竹村:ぶっちゃけて言うとアーツ&クラフトっていうけど、産業革命から職人の手作業から機械的なものに移ってしまって、無くなっていくから言っているんですよね。要は失われたものを取り戻そうとする復興プロジェクトのようなものかと思ってる。
野崎:これって本当に問題なんですね・・。このまちだって、そうなってしまう可能性があるわけですよね?
竹村:そうなっちゃいますね。
野崎:じゃあ、もっと補助金出すとか・・そういう話になるんですか?
竹村:補助金っていうよりは、経営のマネージメントかな。お金の管理とかそういう、そろばんを弾く部分っていうのかな。
野崎:?? 例えば・・・?
竹村:例えば、神社仏閣の漆塗りの工芸、修復とかの会社があるんですけど、そこは元ゴールドマン・サックスで働いてた方を経営に携わらせたりして、経営の立て直しを図ったとか。
野崎:えぇ!すごい!
竹村:だから見直しをして再興させたんですよね。経営の部分っていうのは必要なんです
よね。職人に対しても、もちろん。
野崎:なんか、とんでも無い考え違いをしていたのですが、技術を持っていてそれを形にして、見せる仕事っていうイメージになっていたというか・・・。
竹村:うん、売らないとだし。職人仕事として魅力っていうのは分かるけど、そのための金。現実なんですよね。
野崎:・・・・。
竹村:夢を実現するための、「現実」っていう所。このまちの中の人だって、勿論わかっていますよ。でも、僕は外から来た人間なんで、こうして言えるっていうのはありますね。
野崎:そうすると、「このまちに来て、不便に思っていることは?」っていう質問あったんですが、この部分かぁ・・・
竹村:そうですね。魅力を伝えるっていう部分は分かりますよ。でも、それを続けるためのものが欠けている気もして・・。
野崎:良い部分だけが切り取られるって事か・・・
竹村:うん、だから団塊の世代から減っているんですよね。現実的に金が稼げないから?親が作ったものを売るセールスマンになっていたり。50代がいないんですよ。
野崎:減ってく訳だ・・・
竹村:結局、「ものづくり」とかは時代背景に影響を受けちゃうんだろうな・・。たぶん。
悲しいのは、三条で洪水があったでしょ。その時でやめちゃった所も多いんですよね。洪水の前に、弟子がいて教えられていれば良かったんだけど。
野崎:・・・・。
竹村:だから師匠の手が動くうちに、実際に仕事してる姿を見ているかどうかなんですよね。それが今減っていってるし、なかなか解決できる問題でもないですよ。無いんだから。現実なんだから、そりゃ社会背景の影響受けるよ。
野崎:うん、魅力ばかりでどうこうなる問題じゃないって事ですね。
竹村:それじゃ、遊園地みたいになっちゃうよね(笑)アトラクションみたいな。
野崎:それではまとめて・・・「このまちで一番やりたいことはなんですか?」
竹村:魅力はあるので、平常運転でもそれが出来るようにならないとダメだって事に向き合って、取り組んでいきたいです。
野崎:結構先に聞いちゃったりして、ごめんなさい(笑)最後の質問になるんですが、「この燕三条の未来を切り拓く力になるために、必要な力ってなんですか?」
竹村:伝統が日常的に仕事としてある、「あたりまえの力」ですね。このまちにしか無い部分だと思います。
野崎:ありがとうございました。本当に楽しい話をさせていただきました!僕も知った気でいたのかもしれないって考えちゃいました。
竹村:うん、伝統っていうものを周りはいうけれど、僕らにとっては「あたりまえ」の仕事ってことです。日常としてあるんです。それがこのまちが伸ばしていく力だと思います。
ちょっとだけ、竹村さんの職人技です。その迫力もさることながら、大胆で繊細で・・・なにより熱を帯びて赤くなった材料の輝き・・・綺麗ですよねぇ・・・(うっとり)
いかがでしたでしょうか。竹村さん。人が変わることってのは「人」に会うことなのかもしれませんね!