VOL14 鍛冶職人修行中の市川さん

【今回の記事は 2016年10月末に取材を行ったものです】

※旧年度のスローガン「未来を切り拓く力」が映像や文言に掲載されておりますが、2016年に取材を行ったものですのでご理解を賜りたくお願い致します。

それでは始まり始まり~

こんにちは!今日も元気に「情熱ある若者大陸」です!いつも見てくださってありがとうございます。この事業を通じてほんとうに色々なまちの「側面」がみえてきますね。魅力あるまち「燕三条」! もっともっとこの「輪」が大きく広がってほしいと思います!

さてさて小春日和の本日は、東京より燕三条へと移住を決断した若者のもとへ行ってまいりました。「夢」に向かってアルバイトをしながら過ごす「市川」さんに聞いてきちゃいました。

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佐藤:こんにちは、まずは自己紹介からお願いいたします。

市川:福岡県出身。26歳。市川祐介です。現在、鍛冶屋にて修業をしております。父が転勤族でしたので幼少期は、全国各地とたくさん回りましたね。そして今は、三条市に在住しております。

佐藤:全国各地というと?

市川:生まれは福岡県、その後は山口県、兵庫県、北海道、東京都、長野県そして今は新潟県ですね(笑)

佐藤:いやいやソレすごいですね!(驚)・・・ということは生まれて26年間でほぼ日本を縦断されたんですね。

市川:そうですね(笑)さらに東京都では何回も引っ越しを経験しました。各地での居住は長くても4年くらいかな・・・

佐藤:様々な所にお住まいなんですね~これは面白い記事になりそうです。ちなみに市川さんは三条市に住んでいらっしゃいますが、ご両親はどちらにお住まいですか?

市川:両親は東京都に住んでいます。私は、就職を機に長野県、そして今は三条市ですね。

佐藤:三条に来て何年になりますか?

市川:昨年の10月に三条へ来ましたので、ちょうど1年になりますね。

佐藤:ご家族構成は?

市川:父、母と私ですね。

佐藤:お?失礼ですが市川さんは、一人っ子ですか?

市川:はい。

佐藤:実は、私も一人っ子なんですよ。(笑)

市川:えっ。そうなんですか。(笑)

佐藤:意外な共通点発見です(笑)すみませんお話続けてください。

市川:ですね(笑) 私は、元々各地を回ったのでどこが地元とかそんな感覚はありません。どこで生活するのかそんなこだわりがありませんでした。

佐藤:将来は、ご両親と一緒に暮らしたりとか考えていますか?

市川:そうですね。将来的は一緒に暮らしたいですね。

佐藤:ありがとうございます。もう一個質問させてくださいね。市川さんの趣味はどんなことでしょうか?

市川:映画や読書ですね。先ほどまで映画見てましたしね(笑)そうそう最近は、自転車も趣味の1つですね。以前住んでいた長野県飯田市は山や谷あいの地で平地がありませんでしたから3年間くらい乗りませんでしたが、三条市は平地が多く、また乗ってみようと思い、以前乗っていた自転車を磨いてきれいにして乗り始めました・・・でも、結局は車ばかり乗っていますね(笑)

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佐藤:あーそれ!すごく共感できます。年々体を動かすことが億劫になってきますよね。私なんか近い場所でもつい車に乗ってしまいますもん。

市川:同感です。しかも朝早いと・・・なおさらですね~(汗)あと、疲れたら仕事出来ないからやっぱ車でいいや!ってなりますね。でも経済的な事とか健康とかは気になりますけれど・・・

佐藤:そうですよね。自転車は体にもいいですからね。

市川:でも、たまに自転車に乗ることもありますよ。その時は、気持ちがイイって思うのですが、毎日乗るっていう気持ちが・・・大学時代は往復30km、365日乗っていたんですけどねぇ・・・

佐藤:え!往復30kmですか!そりゃ太もも鍛えられたのではないんですか競輪選手ばりに?

市川:いえいえ、実は「ツールドフランス」などの長距離選手って足細いんですよ。私も長距離派だから細いんです(笑)。競輪選手は瞬発力が必要なので太ももが鍛えられるからあんなに太くなるんですよ。

佐藤:・・・市川さんもしかして、自転車について結構詳しいですね!

市川:いえいえ(汗)あんまり詳しくはないですよ。自転車を交通手段に使っていた本当の理由は、東京の満員電車に乗りたくないから自転車を乗っていたっていう(笑)

佐藤:あはは(笑)では自転車は趣味ではなく、満員電車に乗りたくないための選択肢だったんですね~。

市川:(笑)そうですね。趣味になりませんね(笑)

佐藤:そんなことないですよ(笑)それでは改めましてお聞きしますね、市川さんの本当の趣味は何ですか?

市川:仕事ですね。親方にいつも仕事が趣味の様にと言われています。(笑)

佐藤:すみません。なんだか言わせてしまっているようですね。でも親方のその言葉も意味深いですねぇ

市川:ですね。そうでもしないと一人前にもなれないんでしょうね。

佐藤:いやぁ手厳しい。

市川:職人って人たちはそういうものなのかもしれません(笑)

佐藤:それでは次の質問にいきますね。この街にきた「きっかけ」こちらをお聞かせ下さい。

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市川:率直なきっかけは、「工場の祭典」です。

佐藤:今年で4回目のあの「工場の祭典」ですか?

市川:はい。私が来たのは2年前。第2回の工場の祭典でしたね。

佐藤:「工場の祭典」でその鍛冶屋さんを見たことがきっかけで三条へ移住されたと言うことですか?

市川:はい。以前から鍛冶に興味があったこと、また最初に就職する時から手に職をつけたいと考えていました。でも最初に就職した会社はアルミ鋳造業でした。アルミ鋳造は、精密さを求めるため機械に頼るところが多いんです。独立してまでアルミ鋳造製品を創る魅力を感じなかったんです。そこで一人でも出来て、さらに直接お客様と話が出来る仕事がいいなと考えていまして、「道具を造る仕事」だと気持ちが固まり、「鍛冶屋」になりたいって思ったんです。

佐藤:なるほど。お客様と会話出来て、なおかつ一人でも出来る。それが鍛冶屋さんだったと。

市川:はい。まずは、近くの鍛冶屋さんを調べ、さらにアルミ鍛造の仕事を辞め、鍛冶屋さんを探し最初に来た場所が「工場の祭典」でした。

佐藤:真っ先に仕事を辞めたのですか?すごい行動力・・・でも、どのようなきっかけから「工場の祭典」に行きついたんですか。

市川:仕事を辞めて、「鍛冶屋」を調べていたら「工場の祭典」を見つけたんです。ここに行けば、いくつもの鍛冶屋さんを見ることが出来るなーって思って来てみました。

佐藤:当時は、長野県に?

市川:そうですね。長野県でした。

佐藤:アルミ鋳造をやめて、自分で調べて「工場の祭典」に行けばって思ってすぐに来る。スゴイ行動力です!脱帽です。実際に「工場の祭典」へ来てすぐに鍛冶屋さんになったのですか?

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市川:いいえ。「工場の祭典」を皮切りに西日本の鍛冶屋さん等も実際に見て回りました。

佐藤:燕三条、西日本と実際に見てどうでしたか?

市川:僕の目指した鍛冶屋は、「野鍛冶」でした。

佐藤:「野鍛冶」ってなんですか?

市川:「野鍛冶」の「野」は野原の「野」って書きます。村の鍛冶屋を意味します。村の住民が必要とする「道具」をつくる鍛冶屋のことです。

佐藤:すみません。初めて知りました。勉強になります。

市川:道具にも地元の形があって、僕は、その地元の人から学びたいと考えていたので、初めは長野県飯田から北に80kmの場所で鍛冶をやっていた80歳のおじいさんのところで仕事を見せてもらい教えて欲しいと頼んだのですが、若者の将来へ責任を持てないから他の鍛冶屋を探して欲しいと言われた。その時思い浮かんだのが、「工場の祭典」で出会った現在の親方でした。工場の祭典を見た時にもし教わるならこの親方だ!と思っていました。

佐藤:工場の祭典が親方との出会いの場だったのですね。

市川:そうですね。その時は何も話はしませんでしたけど・・・

佐藤:えっ、話しをしなかったのですか?

市川:もしかしたら、一言、二言か話をしたかも・・・

佐藤:そしたら、見た瞬間の直感だけで?

市川:そうですね。見た時に職人を感じました。工場で製作している模様のある包丁なのですが、親方がそれをつくる為に「冶金学」を勉強したと話してくれました。技術だけじゃなくちゃんと勉強して取り入れようという姿勢に感動してこの人の元で鍛冶を勉強したいと直感的に思いました。あとは、職人的な仕事を科学的なところからも考慮してやるということも興味が湧きました。

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佐藤:今イチカワさん「化学」とおしゃいましたが、鍛冶で化学とは?

市川:例えば、この鋼はどういう性質だからどう焼き入れするのかとかですね。以前おじいさんから教わった方法で作った包丁を親方に見せた時に、ちゃんとした包丁になっておらずそれを知った時にもっと化学的というか理論的に物を作らねばと感じましたし、親方の姿勢、そしてまだまだ若いところ、三条の鍛造の技術に魅力を感じこの人のもとで学びたいと思いましたね。

佐藤:工場の祭典はスゴイ出会いだったのですね。

市川:そうですね。工場の祭典で親方の所へ来ていなければ今、僕三条にいないですよね(笑)

佐藤:いやー素晴らしい出会いのお話ですね。親方の考え方と市川さんが思い描く「鍛冶職人像」が一致した訳ですね。

市川:そうですね。どうにかして技術を身に着けたいという希望を持って三条へきました。

佐藤:私も市川さんの熱い気持ち感じますね。では次の質問になるんですけど、こちらに来て夢がかなった瞬間の心境をお聞きしたいと思います。今の話からすると市川さんにとって親方との出会いがまさしく夢が叶った瞬間となるのでしょうか?

市川:まさに夢が叶った瞬間ということになりますね(笑)でも親方からは仕事時間をさいてお前に教えることは俺にとって何の利益にもならない。お前はそれを良く理解してここへ来いと言われましたね~ 今やっと仕事も出来るようになってきました。

佐藤:やはり、親方は厳しいですね。本当絵に描いたような「親方」って感じがします。

市川:はい。ですが、僕は独立することが目標であるため、親方にとっていずれ独立するという人間に教えることは工場にとって何の利益にもならないんです。3ヵ月間の試用期間と、6ヵ月目から本格的学びはじめて7ヵ月、9ヵ月と時間が経つにつれ徐々に技術も身についてきました。最初は、親方って呼べませんでしたよ。

佐藤:なぜ呼べなかったのですか?

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市川:慣れていなかったことでしょうか。それよりも自分自身が工場のためになっていない立ち位置を感じていたことでしょうか。最近になり親方って呼べるようになりました。そこで夢が叶ったというのか一歩踏み出せた。と感じた瞬間ですね。

佐藤:親方と呼べた瞬間に何か感慨深いものがあったことでしょうねぇ。

市川:簡単に呼べませんでしたね。親方は親代わりってことですからね。

佐藤:市川さんの事情を知りながら受け入れてくれた親方は心の広い人ですね。

市川:本当に心の広い人ですね。感謝しております。

佐藤:しかし、親方も市川さんの熱い想いに心動かされたのでしょうね。

市川:自分自身初めは、仕事に対して甘い部分もあったと思います。でも徐々に仕事に対する考え方や姿勢も変わっていきました。例えば親方から聞いたんですが、製作に時間がかかれば価格を高くしそうですが、私たち職人は生活で使う道具を販売するので、自分の技術・腕を向上させ時間を掛けずに製作し価格を守らなけれければならない。それが職人であると聞き共感しました。そこに作家と職人の違いがあると思いましたね。

佐藤:えっ職人だから時間とかがかかった分だけ価格が高くなるって思っていましたけど。

市川:そうですよね。1つのものを作ってそこから利益を上げるには効率をあげていく努力が必要なんですよ。

佐藤:素晴らしい考えですね。それってきっと生活するために必要な「道具」だからなんでしょうね。

市川:そうです。生活道具だから、芸術作品ではない。使われてナンボですからね。

佐藤:素晴らしい考えです!それでは次の質問に行きますね。現在に至るまでに苦労したところはどんなところでしょうか?

市川:あえて挙げるなら3ヵ月から9ヵ月間ですかね。最初、自分は必要とされていないのか、自分がどういう立ち位置になれば必要とされるのかを良く考えていましたね。

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佐藤:精神的なところですね。将来は独立したいと入ったにも関わらず仕事が出来ない人間は工場にとって不利益だと言われれば精神的にもきついですよね。

市川:かなりきつかったですが、どうにかして早く仕事を覚え、技術を身に付けて、親方から必要とされる人間になろうと強く思いましたね。

佐藤:必要とされるようになって、一年前から比べて気持ちは楽になりましたか?

市川:そうですね。一年前より劇的に充実しています。長野ではおじいさんに習ったあと昔工場として使用されていた場所を借りて一人で半年間鍛冶をやったんですが、全く出来ないことに気付いたんです。やっぱりしっかりと習い、学び続けなければならないんだなぁと思いましたね。

佐藤:手に職がついていない状況ですね。

市川:自分で出来ない状況から現在の工場に入り一年間でまだひよこにもなっていない状況ですが、それでも少し出来るようになり自分でも変わったなと思えるようになりました。

佐藤:一年経ってもまだ「ひよっこ」なのですか?

市川:職人として最終的なりたい姿からみると「ひよこ」にもなっていないかもです(笑)現状としては「タマゴ」位にはなったかな~

佐藤:ですが、親方からみれば必要な戦力と見ていただいているのではないでしょうか?

市川:おこがましいですが、親方から仕事を任され時間はかかりますが何とかやり遂げることが出来るようになりました。

佐藤: やはり親方も実際に現物を確認され評価をされるわけですよね。

市川:そうですね。実際に製品として出荷できるものは商品として出していただいております。

佐藤:今後のステップはどのように考えていますか?

市川:一番はまだまだ技術を磨くことですね。

佐藤:技術を磨くことはまだあるのですか?

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市川:まだまだありますよ。鍛冶屋の仕事全体を10と見ると鍛造は3割なんですよ。残りの7割は研ぎなんですね。その研ぎはまだ半分くらいしかしていない状況ですね。そう思うとまだまだ先は長いです。

佐藤:鍛冶の中で研ぎが全体の7割なんですね。その半分って・・・

市川:大体形になったねという状態ですね。さらに親方の物と比べると6割にも満たないですね。

佐藤: それは圧倒的な違いなのですか?

市川:圧倒的に違いますよ。仕事のスピードや各ポイントの押さえ方などをみると違いを感じますね。

佐藤:研ぎってやっぱり手作業なのですか?

市川:回転している砥石に手を使いあてます。入った時は、スゴイ沢山機械あると思い機械でつくるのかと思いましたが、機械はただ回転しているだけなんです。だから自分の感覚で研いていくんです。

佐藤:すべては自分自身の感覚というか技術なんですね?

市川:そうですね。感覚がないとダメですね。一年では養えないものですね。

佐藤:まさしく「職人」という感じですね。

市川:機械は回るだけ。機械を自分の思うように動かせ。「機械を道具」にしろと教わりましたね。私にとってはまだ「機械は道具」になっていない状態ですね(笑)

佐藤: スゴイ世界ですね。そういえば市川さんは最初から包丁をつくる職人になる目的だったんですか。

市川:鍛冶をやるなら絶対に包丁だと考えていましたね。

佐藤:鍛冶屋さんでもいろいろなものがありますよね。なぜ包丁を選ばれたのでしょうか?

市川:鍛冶にはノミや農具もありますからね。でも自分が道具をつくるのならやっぱり包丁だと強い思いがありましたし、なにより親方のもとで学びたいと思っていたからです。

佐藤: なるほど、学びたい親方とつくりたい包丁すべてがここにあったのですね?

市川:そうです。私の学ぶべきところはここだと思いまいたし、自分でも包丁は使いますからね。

佐藤:ご自分で料理されます?

市川:ええ。自炊していますよ。

佐藤:もちろんその包丁はご自分で作った包丁ですよね。

市川:最近は自分で研いだ包丁を使っていますよ。いつも「この包丁良く切れるなー」って自画自賛していますよ。(笑)

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佐藤:自分の道具を使う事で、目に見えて技術の進歩を感じるんですね。

市川:そうです。携わった時間の分だけ技術が身についていると感じていますね。

佐藤:ありがとうございます。それでは今度はこのまちついて質問させていただきます。このまちに来て見てからなにかカルチャーショックを感じたこととかありますか?

市川:自分自身ではとくに感じたことは無いのですが、友人から三条の人って言葉が汚くないか、言い方がきつくないか?聞かれたことはありますね。でも僕、父の博多の言葉の方がきつかった思い出があったのでそれほど感じませんでしたね(笑)

佐藤:博多弁は特長がありすぎますもんね。他にはありますか。

市川:長野県飯田市も三条市も10万人ですが、燕市と三条市を合わせると生活圏的にはだいたい20万人の経済規模になると聞いたことがあります。飯田市と比べお店の数なんかもこの地域の方が多い感じがします。あと三条市は、経営者も多いせいか明らかに経済を回す気概があるなーって感じます。そして、商売に関する考え方はシビアな部分がありますね!

佐藤:三条市民は商人気質が強いのでしょうかね?

市川:そうですね。飯田市のパン屋さんって日曜日はお休みするんですよ。日曜日ですよ(笑)こっちだと日曜日もしっかり営業されていますし、お休み中のファミリーを狙って商売をされていますよね。極端な例ですけれどね(笑)あと外食も他県と比べても多いと感じますね。

佐藤:今までに多くの県で生活をされた市川さんから見られてそこへ注意がいくという事は三条は飛びぬけている部分ということになるのでしょうかね。

市川:間違いなく飛びぬけていますね(笑)

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佐藤:面白い視点ですね。私たちでは普通の事に感じちゃいますけど、多くの県で生活された市川さんならではの感覚ですね。生活の中から経済の仕組みが自然と出来ているまちになっているって事なのかなー

市川:自然と出来た仕組みなんでしょうね。地域に根付いているように感じますから。

佐藤:燕三条っていいまちだなぁ・・・

市川:私はそう思いますよ。私を含め今の若者はお金を貯める癖があると思います。しかし三条の現状を肌で感じ貯めるだけでなく使うことでお金が回ってくることを実感しましたね。

佐藤:いやーありがとうございます!なんだか嬉しいです。さて続いての質問ですが、この地域で不便に感じるところってありますか?

市川:道路事情でしょうかね。渋滞や一方通行、道幅も狭いところが多いことです。もう少し道路整備してほしいですね。あとは、水はけが悪いこと。道路の冠水が多いですね。雨が多く降るといつも床上浸水をしている店舗を見かけます。学校の整備も必要なことでしょうが社会インフラ整備も重要だと感じます。

佐藤:あぁーありますねぇ(笑)あそことか あそことか・・・

市川:意外とありますよね。

佐藤:こういった声がひろえる事がこの事業のイイ所です!ありがとうございます。

市川:いえいえ(笑)楽しそうですね。

佐藤:他にはありますか?

市川:今思いつくのはそれくらいかなぁ・・・

佐藤:わかりました。ありがとうございます。それでは次の質問です。今現在、ここにきてから増えた新たな夢などはありますか?

市川:新しい夢は今はありませんが、当面の目標は親方の様な仕事が出来る職人になり独立への道を切り拓くことですね。

佐藤:ちなみに独立するならどの地域でされると考えていますか?

市川:今は特に考えていませんが、親方からは三条であれば、材料も砥石などの道具もすぐに手に入り輸送費も時間の節約にもなると教わっています。そこは、産地だからこそだとは思います。でも産地だからこそ考え方が固くなって、ゆくゆくは技術の進歩・継承に問題が生まれると感じています。

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佐藤:職人さんたちはその危機感をどうとらえているのでしょうか?

市川:興味のある若者たちへ門戸を広げ、技術を継承して技術を守っていく必要がありますよね。

佐藤: そうですよね。親方もまた若い頃は技術を教わったわけですよね。そして今まで繋げてきたんですよね。

市川:私は以前、親方の師匠のような方に「お前が今親方から習っていることは、後世へ繋がなければならないんだ」と言われた時に、自分はそういう責任がある事を自覚しましたね。

佐藤:とっても大事な事だと思います。伝え続けなければならないものなんですよね。それがこのまちの「ものづくり」の力になっていると思います。

市川:そうですね。

佐藤:市川さん今日はありがとうございました。最後に市川さんが考える燕三条の未来を切り拓く力になると考えてやっているんですねイチカワさんの考える『未来を切り拓く力』とはなんですか?

市川さんの答はコチラ ↓

 

【情熱ある若者大陸】オリジナルページへ(動画あり)

 

 

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