VOL15 相田合同工場 福原さん
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情熱ある若者大陸へようこそ!寒むさがどんどん進む今日この頃!今日も若者の情熱に触れて温まっちゃいましょう!さて、今回は、相田合同工場さんの福原さんにインタビューさせていただきました!
【今回の記事は 2016年11月末に取材を行ったものです】
※旧年度のスローガン「未来を切り拓く力」が映像や文言に掲載されておりますが、2016年に取材を行ったものですのでご理解を賜りたくお願い致します。
福原さんは、東大阪市のご出身です。福原さんは、相田合同工場さんの農具に出会ったことがきっかけで、鍛冶仕事に興味を持ち、現在は鍛冶育成事業によりお勤めしながら鍛冶の勉強を続けていらっしゃいます。
有本:本日はよろしくお願いします。
福原:よろしくお願いします。
有本:では初めに現在、お仕事ではどういった作業を主にされているのですか?
福原:研磨作業や鍛造を中心に担当し、毎日作業しています。
有本:ありがとうございます。それでは福原さんのご出身はどちらですか。
福原:東大阪です。
有本:おぉ都会ですねぇ。では、燕三条地域へは何年前にいらっしゃったんですか。
福原:えーと3年半前になりますね。
有本:単刀直入に聞いてしまいますが、福原さんがこの地域に来られたきっかけはどういったことがありましたか?
福原:はい。まずは鍛冶屋になりたかったのも一つですが、以前、奈良で行われていた里山再生事業に参加していました。もともと僕、農作業にも興味があったんですよ。そこでボランティアとして里山の再生事業に参加させてもらっていたのですが、その時に、相田合同工場さんがワークショップという形で農具の使い方などを指導するために参加していたんですよ。当初はホームセンターで購入した道具を使用していたのですが、初めて触れた相田合同工場さんの本物の農具を触れて、使ってみると、同じ道具でも全く違うものだったことにめちゃめちゃ感動して、自分でも作ってみたいと思ったことが直接のきっかけですかね。
有本:素晴らしい出会いでしたね!本物の道具は、まったく違うものなのでしょうか。
福原:使ってみると全然違いますね! 別物ですよ。
有本:私も、相田合同工場さんにディスプレイされている道具を拝見させていただいて、なにより、農具ってこんなに種類があるんだなと驚きました。すごい数ですよねぇ
福原:ディスプレイされている道具も手作りじゃないですか。初めは、こんなに沢山の種類、しかも色々な形をしているものを本当に手作りで作ることができるのかと。信じられませんでしたね。その後、いろいろなご縁があって、相田合同工場さんに勤めることになりました。
有本:燕三条へは、どんな希望をもっていらっしゃいましたか。
福原:やはり、まずは、鍛冶屋さんになりたいというのが第一でしたね。夢は、燕三条で鍛冶の技術を学んで、地元関西へ戻って独立することですね。
有本:独立ですか!イイですね!でも関西、とりわけ、福原さんのご出身である東大阪市も沢山の企業が集まったところですし、堺市などは鍛冶仕事が有名ですが、燕三条を選ばれたのには理由があるのでしょうか。
福原:奈良で相田合同工場さんに出会ったこともそうですが、鍛冶育成事業で働きながら鍛冶技術を勉強できるのが大きかったですね。
有本:土地勘のないこの地域にいらっしゃるのは不安も大きかったかと思いますが、初めて燕三条へ来た時は、どういった感想をお持ちになりましたか。
福原:車が新潟県に入り、燕三条に近づくにつれ、見渡す限り一面田んぼの景色が広がってきました。正直、鍛冶仕事をするような場所なのかと不安になりましたね。
有本:大阪の工場が立ち並ぶ地域とは全くイメージが違うかもしれませんね。
福原:三条の町中に入ってくると、ようやく安心しました。
有本:燕三条へ来られてから3年半ですが、ご苦労されたことはありましたか。
福原:当初は、作業の方法、仕事の進め方などを教えてもらいながら進めていくのですが、教えていただいても、三条の方言がまったく分からず、何を言っているのか理解できずに困りましたね。あと、職人の皆さんは普段通り話しているのに、常に怒りながら話しているように聞こえていました。
有本:燕や、巻地域の話し方も含め県央地域の話し言葉は、怒っているように聞こえてしまうかもしれませんね。
福原:自分が怒られているのかなと毎日ドキドキしていましたよ。
有本:その他に驚いたことやショックを受けたことなどありましたか。
福原:やはり、雪でしょう。地元では、降っても積もることはなかったのですが、新潟の雪の量に圧倒されました。三条に越してきて最初の年は、雪が降って感動していたのですが、2年目、3年目となると雪の大変さが分かってきました。
有本:大阪では雪かきすることも無いわけですもんね。
福原:そうですね、三条のように積もることはありませんし。
有本:三条に来られて3年半で新たな目標などはできましたか。
福原:これまで研磨作業がメインでしたが、最近は鍛造も担当するようになり、自分が叩いたものが商品として出荷されるのを見て、改めて気合が入りました。鍛冶道場へも通いながら学びながら腕を磨きかけて、今後はすべての工程を一人で行い製品を作ることができるようになることが目標です。
有本:鍛冶道場ではどのようなことを学んでいらっしゃるのですか。
福原:現在は鋼付けの工程について学んでいます。現在多く販売されている商品は、溶接された商品が主流で、鋼付けの工程を経て手で打った商品は手間もかかるため、次第に減ってきています。これはさみしいことだと思いますね。私も農作業をしますが、大量生産の商品と、職人が一つ一つ作り上げた商品とでは、使い勝手、刺さり方が全く違いますし、道具の違いで作業効率も全く違うものですよ。
有本:やはりいい道具は手間もかかるんですね。作業効率もそんなに変わるものですか。
福原:実際に比べてみるとわかりますが、全く違いますよ。刺さり方が全く違いますし、根なんかもスパッと切れちゃいますよ。
有本:鍛冶道場で学ぶことと、実際の業務とは違うものですか。
福原:そうですね、現在職場の同僚と共に鍛冶道場に通っているのですが、日常の業務は、出荷時期や繁忙時期に合わせて自分の担当する作業を処理していくことが多くなってきますから、道場で学ぶことと日常の業務とは違うものですね。
有本:学びと業務とのジレンマでしょうか。
福原:今は相田合同工場さんの技術や業務のノウハウと鍛冶道場で学ぶ技術とを勉強しながら、自分なりの鍛冶仕事を模索しています。
有本:ありがとうございます。それでは最後に、福原さんは他県からこの地域に来て働いているわけですが、福原さんが考える「この燕三条の未来を切り拓く力になるために、必要な力ってなんですか?」
福原:これは僕自身にも言えることですが、「言葉の力」ではないでしょうか。
有本:言葉の力とは、発信するための言葉ということでしょうか。
福原:そうですね。私自身言葉一つで人生が変わるきっかけになったことがありますし、もっと、言葉の力を大切にすべきだと思います。この地域の同年代の方は、地元大阪の若者と比べてもおとなしい感じがします。普段職人さんたちの言葉を聞いているからかもしれませんが、この地域の同年代の方達も、もっと自分自身のこと、この街の魅力について積極的に力強い「言葉」を発してほしいです。
有本:本日は、貴重なお時間いただきありがとうございました。インタヴューはここで終りまして、このディスプレイされている農具について、個人的に教えていただきたいのですが。
福原:いいですよ。これなんかカッコよくないですか。
インタビューの後も、全国各地で使われて相田合同工場さんの農具について、福原さんから、使い方や製造過程等を教えていただきました。どの道具も興味深く、また、手作りの製品は男心をくすぐるカッコよさがありました。