VOL16 清雅堂 西片さん

こんにちは!情熱ある若者大陸へようこそ!

「春」の足音が少しずつ近づいてきましたね。身体も、気分も明るくなっちゃいますね。皆さまのおかげさまを持ちまして、情熱ある若者大陸もなんと「第16弾」!本当にありがとうございます。さて本日のメニューは弥彦村にございます「清雅堂」の西片さんに突撃取材を行ってきました。どうぞご覧ください(´▽`)

【今回の記事は 2016年11月末に取材を行ったものです】

※旧年度のスローガン「未来を切り拓く力」が映像や文言に掲載されておりますが、2016年に取材を行ったものですのでご理解を賜りたくお願い致します。

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佐藤: 本日は宜しくお願い致します。

西片: 宜しくお願いします。

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佐藤: さて、西片様はこちら旧分水町の生まれで、大学から県外に行かれて、こちらに戻ってきて今に至るという形で伺っていましたが。

西片: はい。大学は山形県の大学に行かせて頂いておりました。そこから山梨県に就職という形で約10年間住んでおりました。実はこちらに戻ってきてから1年くらいしか経っていないので鎚起に関しては実はペーペーなんですよね(笑)

佐藤: 山梨県ではどのようなお仕事に就かれていたんですか。

西片: ジュエリー関係のメーカーに勤めていました。

佐藤: 宝石ですか。

西片: そうですね。営業もやらせて頂きましたし、企画開発までやらせて頂いておりました。営業もデザイナーもディレクションまで色々やらせてもらいましたね。色々なジュエリーブランドが作りたいものを私たちが作り上げるという仕事でしたね。実はここは2社目で、1社目は実はすぐに辞めてしまったんです。

佐藤: あらま肌に合わなかったんですかね(涙)

西片: 1社目はかなり特殊な業態の会社だったんです。主に芸能人の方のオリジナルジュエリーを創作したりする仕事だったんです。なので全国渡り歩きましたねぇ。アシスタントという形で携わったんですがちょっと違うな~と感じて2社目に就職させて頂きました。

佐藤: 山形県では「つくる」側を学んでいたんですか。

西片: そうです。職人希望だったんですけど、就職後は営業やデザインなど色々やらせて頂いたので逆に良い経験をさせてもらいましたね。

佐藤: そうですね。作る側に立つとしても色々な分野を知っているということは強みになると思いますね~ 宝石ってすごく繊細なイメージがあるんですが。

西片: はい。かなり繊細な部分がありますよ。

佐藤: イメージのスケッチとか書かれたんですか。

西片: そうですね。ラフ図は鉛筆で書かせて頂きましたね。でも、今は工業製品もそうだと思うんですが、ジュエリーもCADを使ってやるようになってきていましたね。

佐藤: なんか図面になってしまうと少し味気ない気がしますが、

西片: 昔は職人がやっていたことも、CADに置き換えられてしまいましたね。

佐藤: 時代の流れですね。ありがとうございます。それでは質問に戻らせて頂きますね。西片さんがこちらに戻ってきた。鎚起の仕事をやろうと思ったきっかけはどんなものだったのでしょうか。

西片: きっかけは兄から連絡をもらいまして

佐藤: お兄様が現社長なのですか。

西片: いえ、今は父が社長になりますね。ゆくゆくは兄と私二人でやっていく方が良いと考えて声をかけてくれたと思っています。

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佐藤: それがきっかけだったということですね。

西片: そうですね。僕も将来的なことを考えて戻って来ることを決めました。もともと大学でもオブジェなどを製作していましたし、小さな頃からこの仕事も見ていましたし。

佐藤: 西片さんのルーツでもあり、原点に立ち返る起点になったということですね。

西片: 一番はずっと仕事をするって考えたときに鎚起をやって行きたいと思ったことですね。

佐藤: 自分の未来を考えた時に出てきた答えがそこだったんですね。

西片: 60歳になってジュエリーのような業界で作れるかと考えたらちょっと難しいかなって。

佐藤: なるほど、時代の流れに沿わないというか。

西片: そうですね。経験や技術は上がっていると思いますが、ジュエリーセンスは確実に落ちるでしょうからね。

佐藤: ジュエリーの仕事ってセンスとか重要な部分になるんでしょうかね。だとするとある程度「若さ」のようなものが必要な気がします。チャレンジ精神というか勢いというか。

西片: そうだと思います。逆に鎚起のような仕事では、歳を重ねれば脂が乗って来るではないですけど技術が上がることで幅や奥行きが広がって商品にイイ意味で「味」が加わると思います。

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佐藤: 将来性を考えた時、西片さんはものづくりの原点。その現場に立っていたかったという所がきっかけなのかもしれませんね。

西片: そうですね。

佐藤: ちなみに今どうですか?一年間やってみて。

西片: やればやるほど大変さがわかってきますね。できないことが多すぎて・・・慣れも出てくるのでそこに留まってしまいがちで、上手くできたと思っても、やはり兄や父が作ったものにくらべると同じものでもまったく雰囲気が違うんですよね。

佐藤: 同じものでもですか。

西片: そうですね。やればやるほど技術が上がっていく。そうなればまた表現や雰囲気は変わってくると思うんです。

佐藤: 常に精進していかねばならないってことですね。ありがとうございます。それでは次の質問にいかせてもらいますね。このまちに戻っDSC_9648てきて夢が叶った時、どのようにどうでしたか。

西片: そうですね。あまり意識したことがなかったですが。

佐藤: 以前、弥彦村の外山さんや早福さんにも取材をさせてもらったんですけど、弥彦村に住んでいる人たちってすごく弥彦村に対する想いというか。弥彦神社や弥彦のお祭りに対してすごく想い入れが強いなぁって感じていました。小さい頃から祭りを通じて地域や人々と繋がっていて、そういった結びつきがすごく強いなぁって感じましたけどね。

西片: そういった部分はあるかもしれませんね。山形や山梨で住んでいたときも必ず1年に1度は弥彦神社にお参りにきていましたもんね。

佐藤: あぁやっぱり存在が大きいんですねぇ

西片: 県外で住んでいたじゃないですか。住んでいるところってどこって聞かれた時、弥彦を知っている人もいるんですよね。弥彦=神社、弥彦山、温泉というキーワードがやっぱりでてきましたね。でも「村」だったんだねって(笑)

佐藤: なるほど(笑)やっぱり「観光地」というイメージが強いんですかね。

西片: そうですね。

佐藤: この企画を立ち上げる前に、三条や燕の地域振興課の方と話をしたことがあるんですが、燕や三条に比べると弥彦村ってすごく魅力的だっておっしゃっていましたよ。

西片: そうなんですね。

佐藤: 私たちが考える燕三条には弥彦村も存在しているんです。けどどうしても「ものづくり」や「金属加工」などがピックアップされてしまって中々関わりきれていないって感じていたんです。だから絶対この事業(情熱ある若者大陸)では弥彦の人をピックしたいって強く思っていたんです。

西片: ありがとうございます。

佐藤: ちなみに西片さんも、外山さんも、早福さんも、氏子青年部の羽生会長から紹介してもらったんです。西片さんは氏子青年部には入っていないんですか。

西片: 私は所属していません。兄は所属しています。私は見ている方が好きなので(笑)

佐藤: そうだったんですね(笑)

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西片: 祭りは見ている方がたのしいですよ(笑)

佐藤: ありがとうございます(笑)では次の質問に入りますね。今に至るまでに苦労したお話をお聞きしたいのですが、どうですか?

西片: そうですね。やはり技術は先に話をした通りですが、実際大学ではものづくりをやっていて、「もの」がありきで仕事をしていたんです。山梨県での体験になるのですが、ものが無い状態(企画や提案)で話を進めるってことがすごく苦労しましたね。

佐藤: 今とはまったくの正反対の仕事になる感じでしょうか。

西片: そうですね。自分自身が創り出すではなくて、ものを「作り手」に指示をだしてつくってもらうって事でしたからね。

佐藤: 相手から聞いたこと、イメージを伝えて作ってもらうわけですもんね。

西片: そうです。でもその経験は、ある意味「もの」を客観視してみれるワケで、それは今後の仕事にも活かせるはずだと思っています。作り手って意外と「ひとりよがり」になってしまうケースがなくはないんです。

佐藤: あ~なるほど。使い手側の意図や想いと、創り出すモノが繋がるというか。

西片: まぁ私はそこまで達していませんが(笑)やっぱりこの仕事は「技術」が伴わないとつくりたいものが作れないですね。

佐藤: 人の力で叩いて作るわけですもんね。何百万回、何千万回と叩いて技術を磨いていかなければ、創りたいものの表現が出来ないんですね。

西片: そうですね。おかげさまで上半身がムキムキになっちゃって(笑)

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佐藤: え?それは叩き続けていたからですか。

西片: そうです(笑)僕そんなにガタイが良いわけじゃないんで、どちらかといえばヒョロヒョロだったんですけど、この仕事を始めてから上半身に筋肉が付いてきちゃって服のサイズとか結構こまったりするんですよね。

佐藤: 肩とか二の腕とかが太くなってくるとサイズ感変わりますよね。

西片: そうなんですよ。今までSだったのにMにしないと辛かったり、でもMにすると丈まで長くなっちゃって・・・佐藤さんこの話も掲載するんですか(笑)

佐藤: はい。掲載しますよ。

西片: そうですか(苦笑)

佐藤: 様々な角度から見て頂きたいので(笑)

西片: わかりました。

佐藤: 他にはありますか。

西片: そうですね、言葉がわからないことがありますね。(笑)10年も県外に行くとつい忘れちゃうといか、感覚がなかなか取り戻せないんですよね。

佐藤: あ~お年寄りとかは特にツライですね。それは良くわかります。

西片: あと、屋号とかで呼び合うともうまったくわからなくなります。そういう時に疎外感を感じることがあります。(笑)

佐藤: あんまり不便なことはなさそうですね。

西片: 強いていえば、うどん屋さんが少ないってことですかね。

佐藤: 山梨県て「うどん好き県民」なんですか?

西片: いえ(笑)個人的に私が好きなんです。

佐藤: (爆笑)そうでしたか。そうですね「うどん」てよりかは「ラーメン」ですもんねこの地域は。

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西片: そうですね~でも、私も燕三条系のラーメンは好きなので、帰郷した際は必ず食べてましたよ!

佐藤: おぉ~やはり「杭州飯店」さんですか。

西片: えーと僕は、ちょっとレアかもしれませんが、分水にある中華亭さんですかね。後、一番多くいっているのは大村食堂さんですね。燕労災病院の近くでしたよね。よく行きます。

佐藤: おぉー分水地区に、燕地区・・・なるほどですね。

西片: 分水のお店は分かりづらいと思いますよ(笑)大村食堂さんは佐藤さんも知ってますよね。

佐藤: そうですね。実は私大村さん食べた事ないんですよね(涙)時間作って食べにいってきます。今の話からすると「うどん屋」さんはないかもですが(笑)それ以外に特に不便だなって思っていることってないみたいですね。

西片: 特にないかもですね(笑)

佐藤: 同じく弥彦地区の外山さん(家具職人)に、「菊まつり」や「二年参り」とかって弥彦(弥彦神社)に通じる道という道がすべて渋滞するじゃないですか!って不満をブチまけたんですね。てか僕がそんなことを言うのも変な話なんですが、

西片: オモシロいですね(笑)

佐藤: 道とか広くしたり、増やしたりした方がいいんじゃないですかって言ったら、外山さん面白くて、「たまに都会みたいに渋滞があったほうがいいんですよ~」って

西片: 笑

佐藤: あーなんか人それぞれなんだなーって思いましたね。西片さんはどう思いますか。

西片: 僕はそういった時期に神社には近づきませんね(笑)

佐藤: 地元あるあるですね。

西片: どうしても行かなきゃならない場合は、秘密のルートで(笑)

佐藤: あ!地元民しかしらないようなルートがあるんですね。

西片: そこまでのものではないですけどね(笑)止める場所はちょっと苦労しますけど。

佐藤: 僕も最近行くようにしてます。なんとなくですけど1年のけじめというか。ただ二年参りは子供もいるんで無理ですが、日程をずらしてお参りには行きますね。

西片: 二年参りってこの土地独特のものらしいですよね。県外だと31日になんでお参りにいくのって言われますね。山形でも、山梨でも「なにそれ」って感じでした。初詣でしょって(笑)

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佐藤: へぇそうなんですね。他の新潟県の神社でも二年参りってあるのかなぁ・・・そういえばどうなんでしょうか。弥彦神社って参拝客というか二年参りとかすごく大勢きますよね。県内№1なんじゃないでしょうかね。

西片: かもしれませんね。

佐藤: 神社を中心に、温泉地、登山。産業は少ないかもしれませんが、それにひけをとらない「観光」がこの土地にはありますね。人を呼び込める魅力がすごくいっぱいありますね。

西片: そうですね。すごいあると思うんですけど、お店があんまりないのがもったいないかなって感じます。

佐藤: といいますと。

西片: 客足を止めるような「お店」とかがあるともっと違うと思うんです。人の「受け入れる場所」といえばいいのかな。お正月とかがそうだと思うんですけど、受け入れる場所ってのがそんなにないんですよね。

佐藤: なるほど。例えば駐車場とか、休憩所とかもあるといいんでしょうかね。せっかくのイベントとかも溢れて出ちゃってる部分を上手く受け入れらるとまた違ったものがあるんじゃないでしょうかね。

西片: そうかもしれませんね。

佐藤: ありがとうございます。それでは次の質問です。今西片さんがおもう新しい夢などはありますか。

西片: そうですね。他の地域、全国的にみてもこの地域にしかない技術ってあると思うんです。それこそ燕三条地域ではこと金属加工においては作れないものってないと思います。僕はそのなかで、「鎚起」という技術を通して、様々な所に発信していきたいと思って居ます。

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佐藤: 技術の発信ですか。

西片: 例えば、鎚起銅器って高級品でデパートで売られています。または芸術作品のようなもの。「位置」というか、そういった「枠」で考えずに、例えば、建築だったりアパレルだったり色々なものにでも発展できるんじゃないかなって思うんです。

佐藤: 高級志向なものだけではなく、もっと、身近なモノにもなって良いってことですかね。

西片: 難しいかもしれませんけど、今アパレル業界でも雑貨を扱っているお店が増えています。服のブランドイメージとライフスタイルを一緒に演出する所が増えてきているんです。実際そういったブランドで、燕三条地域で作った「カップ」とかを並べているケースもすでにあるんです。

佐藤: あーなるほど。

西片: まったく異なる業種の人たちが、この地域の技術に注目し始めていると思います。販路とかも広がる=発信がまだまだできるって感じていますね。

佐藤: 素晴らしいです。

西片: という考えはあるんですけど、まだ僕はまだまだ精進しなければなりませんね。

佐藤: まぁまぁそういわずに。大事なことだと思いますよ。そういう若者にこの事業ではフォーカスを当てていますんで(笑)

西片: 小さなことですが、例えば個人での話になりますが、昔ジュエリーをやっていた流れで、結婚指輪を作ったりとか。こういったことの積み重ねが大事なのかなと。これは18金ですけどね(笑)

佐藤: そうですよね(笑)

西片: 今はこっち(ジュエリー)に本腰は入れれませんけどね。けどこういった「可能性の幅を広げる活動」はトライしていきたいですね。

佐藤: いいですね。

西片: そういう意味ではこの燕三条地域って色んな会社さんが色んな技術をもっていますから、自分が作れなくても、他の人が作れる。コラボレーションが可能ですよね。

佐藤: そうですね。

西片: そういった考え方って、他業種だったり、ヨソの分野からだったりするのではないかなって思いますね。

佐藤: ありがとうございます。まさしく今年のテーマの1つは そういった「掛け合わせによる力」ではないかと思います。ではこの流れで最後の質問へと進めさせて頂きます。西片さんが想う、この地域、燕三条に必要だと考える「力」はなんだと思いますか。

西片: 「対話する力」です。

佐藤: その心は!

西片: 例えば素材との対話、人との対話、対話から生まれる新たな可能性を今後も色々なものに発展させていくことだと考えています!

佐藤: 「対話する力」頂きました! ありがとうございます!

西片: こちらこそありがとうございました。

さて、せっかくなので「青雅堂」さんのギャラリーと、そして作業風景のオフショットを公開しちゃいます!!

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取材者、西片浩さんの作品。

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こちらはお兄様の作品。すんごく「青」が綺麗でした。

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「二重耳口打ち出し湯沸」すごい技術で作られています。(現品はありませんでした)

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ものすごい種類の道具。これらの道具を使いこなして商品(作品)ができあがるのです。

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金属工芸というものは主に3つに分類されるそうです。

1つは「鍛金(たんきん)」。いわゆる叩いて鍛えて形作るもの。

もう1つは「彫金(ちょうきん)」これは彫刻のように削ったり他の素材と組み合わせたりするもの。

そして最後に「鋳金(ちゅうきん)」。溶かして流し込むというもの。勉強になりますね!

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このようにして、模様をつけていくんですね。(鍛金)

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こちらはお父様の仕事。「彫金」と呼ばれる分野。

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こちらはお兄様のお仕事。取っ手の部分にを作っています。

西片さん ありがとうございました!

清雅堂 HP http://www.seigado.net/outline.html

やっぱ!燕三条ってオモシロい!!(´▽`)

 

【情熱ある若者大陸】オリジナルページへ(動画あり)

 

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