VOL18 和café「社彩庵」早福さん

 

情熱ある若者大陸へようこそ! いつもありがとうございます( `―´)ノ

さて、突然ではありますが、今回の記事を持ちまして、「情熱ある若者大陸」は一旦、締めくくるという運びになりました。

約1年間ご愛顧くださった皆さま、そして取材をさせて頂いた情熱ある若者の皆さま、本当にありがとうございました!

「情熱ある若者大陸」の活動は一旦終了となりますが、ホームぺージはそのまま残りますし個人的に発信活動はもう少しだけ継続させて頂きます(´▽`)もっともっと多くの皆さまから見てもらって、「燕三条」という地域の発信、魅力の発信に繋げたい。そう思っております。また、この記事をホームぺージにリンクしたいとか、バナーつけたいとか、記事を使いたいと思っている方。是非お問い合わせください( `―´)ノ 一緒に燕三条を発信しましょう!

本当にみなさま、ありがとうございました。

【2016年度 一般社団法人燕三条青年会議所 伝える力委員会 一同】

【今回の記事は 2016年11月末に取材を行ったものです】

※旧年度のスローガン「未来を切り拓く力」が映像や文言に掲載されておりますが、2016年に取材を行ったものですのでご理解を賜りたくお願い致します。

さて、本日は、県内外から年間100万人以上もの観光客が訪れる、新潟県屈指の観光名所である彌彦神社。「万葉集」にも歌われている歴史ある古社でありながら、特に近年はパワースポットや縁結びの神様としても人気があり、若者や外国人も訪れるようになりました。そんな彌彦神社の鳥居の目の前に、観光ガイドブックにも多く取り上げられている人気の和café「社彩庵」があります。 『情熱ある若者大陸』第18回となる今回は、和café「社彩庵」店長・早福百合さんにインタビューをさせて頂きました。 2003年に若干23歳の若さでお店をオープンさせた早福さん。当時の苦労話から、生まれ育った弥彦への熱い想いなど、様々なお話しをお聞きしました。

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齋藤 宜しくお願いします、まずはお名前と年齢から伺えますか?

早福 はい、宜しくお願いします、「早福百合(そうふくゆり)」と申します、36歳です。

齋藤 珍しいお名前ですよね。

早福 父方の実家が関屋や黒埼の方面でして、その辺りには早福という苗字が多いみたいです。で、母方の実家がここ(弥彦)になるんですが、母の実家の名前が「ひらしお」になるので、それでここをずっと守っているという感じです。

齋藤 なるほど、「ひらしお」(1階の雑貨・お土産物屋さんの店名)というのは屋号ではなく苗字なんですね。

早福 はい、「平塩」と書きます。

齋藤 早福さん自身のご出身はどちらなんですか?

早福 元々弥彦村出身です、この店は母の実家で、母が子供の頃1階の一部がお土産屋さんだったんですね。私がここで違う形でお店をやりたくて、関西で修業をしていた頃に祖母が亡くなり、そのタイミングで一気に変えようという事で、今に至ります。

齋藤 ありがとうございます。では、他のご家族の構成を伺えますでしょうか?

早福 はい、三姉妹でして、私が一番末っ子です。長女が一緒にお店をやっています。

齋藤 そうなんですね。先程「関西の方に修業」と仰っていましたが、弥彦には何歳くらいまでいらしたのですか?

早福 高校3年までです。卒業後に大阪にある製菓の専門学校に行きました。元々ここにお菓子関係のお店を出したかったんです。

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齋藤 ではお店の事も含めてお菓子作りの道というのは、高校の進路決定の時にお考えになったのでしょうか?

早福 いえ、小学校くらいの時からはそういう風に考えていました。専門学校は1年間で、その後は奈良で修業をしていました。本当なら最低5年は居たかったんですが、祖母が他界した関係で2年ほどしか居られず、急遽帰ってきてお店をリニューアルしたという感じです。

齋藤 「奈良での修業」というのは、どのような内容だったのでしょうか?

早福 甘味処での修業でした。最初は和菓子屋とかケーキ屋とかも考えていたのですが、元々京都が好きで、専門学校時代も京都によく食べ歩きとかに出かけていました。あと、小さい頃から店を手伝っている中で「弥彦には休める処が無い」というのはありました。それに電車も1~2時間来ませんし・・・それを待つ場所やその時間に見て回れる場所も無いので、「休める場所作り」という考えはありました。今の店の立地が「京都的な雰囲気」も含んでいるので、甘味処は合っていると思っていました。

齋藤 お土産屋は1階と伺いましたが、今の店がある2階は元々何があったのですか?

早福 2階は母や祖母の住まいでした。改築するにあたって梁とかは変えていなくて、いくつかの部屋に分かれていたのをすべて繋げる工事を入れました。

齋藤 なるほど。奈良での修業の後のことを伺いたいのですが、弥彦に戻ってこられたのはいつ頃ですか?

早福 ここが2003年にオープンなので、戻ってきたのは、2002年…21歳だと思います。

齋藤 戻ってこられる機会になったのがおばあ様の逝去だったと伺いましたが、それはご自身の意志でしょうか、それともご家族からの要望だったのでしょうか?

早福 両方ですね、「じゃあ今のタイミングでやるか」という意見は一致していました。

齋藤 帰郷が21歳の頃でしたが、お店のリニューアルなどの大きい事をその年齢でするというのは当時どのようなお気持ちだったんでしょうか?

早福 「不安でしかない」というのもありましたが、「昔からの夢」でもあったので希望も大きかったです。

齋藤 完成形のイメージなんかは持たれていたのでしょうか?

早福 常に考えていましたね、京都をいろいろ回ったおかげもあって、建物の構造など現実面でも考えていたり、甘味の盛り付け方なども店に行っては写真を撮ってリサーチしたり。そういう事を当たり前のようにしていました。今考えると当時ネットが普及していたわけでもないので、京都でたくさん情報収集しておいてよかったなと思っています。小豆を探しに丹波まで出向いたりもしました。

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齋藤 なるほど、では帰ってきて一番最初に着手されたのは何でしたか?

早福 一番最初は建物のことでした。自分の中では店内や外観のイメージなどはあったのですが、当時、巻の「カーブドッチ」がテレビで取り上げられていたのを母がたまたま見てて、「カール・ベンクス」さんが出ていたんですね。カール・ベンクスさんはドイツのご出身で、古民家再生などで活躍されている建築デザイナーで、うちの建物も160年くらいは経っていたのですが、母もこの家を残したいという意志があったので、カールさんなら活かす形で残してくれるんじゃないかと思い、まずは会いに伺いました。その後やりとりしたり、梁を見てもらったりして、最終的な形を決めて行きました。

齋藤 カールさんにお願いする前から現在の完成形をイメージされていたのでしょうか?

早福 そうですね。最初は純和風をイメージしていて、カールさんを知ってから現在のイメージになりましたね。

齋藤 なるほど、今度は内装面ではどのような進め方だったのでしょうか?

早福 カールさんって元々設計図を描かず、見に来て現場で決めて行くタイプの方なんですね。設計図が無いと大工さんを予算を組めないので、別で設計士さんに図面をお願いしたりはしました。実際の動線上では不自由な部分も多少はありますが、基本的にはすべてカールさんにお任せしました。

齋藤 家具や装飾品などはどのように決められていったのですか?

早福 建物が出来上がっていくと同時に、家族の中で決まっていく感じでしたね。中には祖母が気に入って集めていた趣味の骨董品なども置いてあったりします。ここにある棚もそもそも祖母が骨董をするにあたって作ったものでして、ちょうどいいから店に配置しました。

齋藤 なるほど…2002年に帰ってきてわずか1年でオープンとは…。かなりタイトなスケジュールですよね?

早福 そうですね…すごかったですね(笑)経営なども徐々に学んでいこうと思っていたくらいで、当時はまだ「お菓子作り」の方向にしか頭が動いて無くて。ケーキ屋に勤めていた姉もいましたので頼りにしつつ、私自身は「ゼロ」の状態からの手さぐりスタートでした。

齋藤 本当に突っ走ったって感じですね。

早福 そうです(笑)あと、私自身も「彌彦神社氏子青年会」に所属する事で、商売している方たちと知り合う事ができたのは大きかったです。私小学校の時から「小若組」に入っていたので、関西の修業時代でも、弥彦で大きな祭があると、急遽その為に帰省したりもしていました。

齋藤 余談ですが、弥彦の方たちって祭りに対する情熱がすごいですよね。

早福 そうですね(笑)

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齋藤 僕は巻で祭をやっている関係で他の祭の手伝いをすることもあるのですが、練習会があるのは弥彦だけです。掛け声とかタイミングとかがあるから練習しなきゃいけないんですね。正直、他の地域の祭りは行った先でできちゃうんですよ。でも弥彦だけは特別…祭に対する思いがすごいから、こちらも練習しないと参加できないし、お手伝い気分で行っちゃダメだなって思いますね。燈籠祭りなんかは昼と夜の二部構成ですが…弥彦の人は両方でてますもんね。

早福 氏青(彌彦神社氏子青年会)の人は当然です(笑)。 余所の方が両方出たら大変すぎて死んじゃいます(笑)

齋藤 余談ですみませんでした(笑)…じゃあ元々小若組に入られていたのもあって、地元の先輩後輩のつながりは元々濃かったということですね?

早福 そうですね、そこからまた仲良くなったりとかして。私も小さい頃から店を手伝う関係で、実際の実家(車で3分程度)の場所での繋がりよりも、店の周辺での繋がりの方が元々濃かったですからね。

齋藤 ちなみに2003年7月20日がオープン日だったと伺いましたが、弥彦に帰ってきたときから「1年後」といったような照準があったのでしょうか?

早福 そうですね、「燈籠祭り(7/25)」に間に合うようには完成させたかったですね。…燈籠祭りなのに、この角の立地が工事現場になっているのは嫌だったので(笑)もうバッタバタでしたけど、何とか燈籠祭りの寸前にオープンする事ができました。

齋藤 それってだいぶ急ぎ足ですね?(笑)

早福 相当ですね(笑)

齋藤 そんな中、もちろん皆さん初めての経験だったとは思いますが、オープンに漕ぎ着けるまでに一番大変だったこと、苦労した事はなんですか?

早福 まずもって経営のノウハウが判らない事ですね(笑)オープンしてから経理的な事や他のことも、参考書を読みながら手さぐりでやっていました。あともう一つ心配だったのが「23歳」という年齢でした。今はいろんな場所で若い方たちがいろんな事を始めるような時代ですが、当時はその歳で店を構えるっていうのに、周りの人が「どうせ若い娘が」みたいな感じが…「舐められる」というか、何か問題があったとしたら「若いからだな」と思われてしまう不安が常にありました。

齋藤 実際そういうことってあったんですか?

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早福 いやそれが無かったんです。全く無くて、逆に周囲の人達からは支えてもらって相談にも乗ってもらったり。お客さんからしても、私はバイトだと見られていたので(笑) そこは気楽でした。

齋藤 実際オープン日はどのような気持ちで迎えられたんでしょうか?

早福 …バタバタ過ぎて、バイトさんたちの練習とかもほとんどできなくて(笑)オープンしながらその場で決めて行く場だったので、嬉しさとかよりも、とりあえず必死に走り抜けるような感じでしたね。

齋藤 開店当日の喜びよりも、それを感じる間も無い位必死だったということですか?

早福 でも「喜び」に関して言うと、計画の段階でもう生まれていた感情だったので、メニュー表を作るとか、形になっていく段階で既に喜びは感じていましたね。

齋藤 ちなみに開店一発目のお客さんって覚えてますか?

早福 申し訳ない事に覚えてないんですよ…目の前のことに必死でその日の記憶が飛んでいます…。

齋藤 ではこれまでオープン後13年間やって来て、一番苦労されたことは何ですか?

早福 一番大変なのは、やはり弥彦が「季節商売」なので、バイトさんのシフトを決めたりもそうですし、あとは年間の集計を取りながら決めて行ったことでも、最初の3年ぐらいは役に立った集計データが中越地震が起こって先が読めなくなることもあったし、弥彦自体の観光が低迷している影響もあるので、安定感がないというのは苦労するポイントですね。最初の頃は新潟の「新潟県喫茶飲食生活衛生同業組合」に所属していて、そこで勉強会とかもあって、そこでは「5年で経営が落ち着く、10年経てば安定期」と言われていたのですが、全くそんなことなくて(笑)。

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齋藤 なるほど、大変だった事として何か代表的な出来事はありましたか?中越地震とかですか?

早福 そうですね、旅館さんもすべてキャンセルが出たりとかで大変そうでしたし。柏崎の原発のことで風評被害が出たりですとか。中越地震以外でいうと、オープン翌年の4月に「新潟一番」の取材がありまして、その影響たるや、お花見時期と重なってお客さんが大量にいらしたんですね、お正月並みに。

齋藤 えぇ!お正月並ですか!

早福 さすがに手が回らなくて大変でしたね。でもそのおかげでお店の名前が少しでも知れ渡って、忙しくなったお事は嬉しいんですけど、忙しすぎて甘味の材料が切れてしまって急遽代用対応したり、お客さんを待たせてしまったりはあってしまったので…。その経験を元にいろいろとやり方を工夫して変えていく必要がありましたね。…やはりお客さんに迷惑かけるという事が、私としては一番大きな出来事でしたね。

齋藤 ありがとうございます。では逆に13年間の中で「嬉しかった事」は何ですか?

早福 周囲からお店の名前を聞く事が多くなることですね。こないだ行ってきたよ!みたいな口コミとか。

齋藤 また余談ですが、彼(カメラマン)はデートで利用させて頂いたようです(笑)僕自身は今回初めてなんですが、私の妻は数回一人で訪れているようです。前述の通り、近辺には休める処が無くてお店を見て数回寄らせて頂いたようです。僕自身は巻なんですが、地元の人間だと神社に寄ったらそのまま帰るパターンが多くてですね…

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早福 カメラマンさんご利用ありがとうございます(笑)

カメラマン とっても美味しかったです(笑)

早福 ぜひまたお越しください(笑) 確かに地元の方はそうですね、あとは県外の方とかでもリピーターの方が結構増えていて、遠くの方でも「ついで」とかではなくて、「ここのが食べたくて来た」と言って下さる方が増えてきているのは非常に嬉しい事です。

齋藤 そういう方たちは何を食べに来られる事が多いんですか?

早福 抹茶ぜんざいですね。

齋藤 早福さんのイチオシはどのメニューですか?

早福 時期的なものもありますが、でもやっぱり「抹茶ぜんざい」ですね。入っている温かいお餅が弥彦の生産組合で作ってるお餅なんです。私は子供の頃から正月の時はそこのお餅をずっと食べてて…他メーカーのお餅よりかはちょっとお高めなんですが、私はいろんなところでお餅を食べたけれどもこれほど美味しいお餅は無いと思って使っています。このお餅は絶対に使っていこうと思っています。あと京都から小豆や抹茶を取り寄せているのですが、弥彦のものはそのお餅だけになるんです。

齋藤 一番人気のメニューはどれですか?

早福 以前は抹茶プリンパフェだったんですが、今は白玉クリームパフェですね。素材の味を活かすため、すべて甘さ控えめに作っています。なので男の方がパフェを召し上がるパターンが多いですね、若くても年上でも、男性5~6人で来られて、皆さんでパフェを召し上がるとかもありますね。カップルでも女性がコーヒーで男性がパフェとか。

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齋藤 へぇ、意外にそうなんですね。ひらしおさんはいわゆる「京都風の甘味処」で、早福さんご自身も京都をたくさん周られたとのことですが、コーヒーメインの喫茶店にしたいとかの発想はなかったんですか?京都にもたくさん喫茶店があるかと思いますが。

早福 私自身があんみつとかぜんざいとかが好きというのもありますが、当時京都を探索することで、お店の雰囲気が京都風であってほしいなというイメージが強くなったというのもありますね。コーヒーメインですとどこにでもあるような喫茶店になりそうですし、古町にも老舗などがありますし、新潟には甘味処って元々少ないというのもありまして。

齋藤 何故新潟には甘味処が少ないんでしょうか…。

早福 なんででしょうかね!?あんまり馴染みがないのかもしれないですね。「ぜんざいとあんみつの違いってなんですか?」って聞いてこられるお客さんもいらっしゃるので…。

齋藤 そうなんですね。ひらしおさんは神社の目の前にある事で言うと、神社とセットなイメージもあっていいですね。

早福 そうなんですよね、やっぱり自分が店をやりたいっていうのは…、修業当時、京都から弥彦に帰省する度に「なんで弥彦ってこんなに寂れてるんだろう」と思う事が多々ありました。それは弥彦から出ないとわからない事で、非常に感じていました。

齋藤 早福さんから見て、今の弥彦と子供の頃に見ていた弥彦と、違いはありますか?

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早福 昔新幹線が開通した当時は、弥彦はものすごい混んでいて、お土産屋さんたちもすごく潤ってて。…でも低迷してきてもお店としては「待ってるだけ」のスタンスだったんですね。季節によっては「今はしょうがない」と諦めている事や…そういう消極的なものがだんだんオトナになるにつれて見えてきたのもありました。

齋藤 待っているだけでは変わらない。自らが変化についていかねばならないという事でしょうかね。

早福 そうですね。京都などでは地域の人が頑張って盛り上げているとか、そういう対比が見えたんですね。今では弥彦でも観光協会、商工会、旅館組合などが「弥彦に人を呼び込もう」と一生懸命活動なさっているので、それまでは消極的だったお店もだいぶ刺激されている感はあります。

齋藤 自分だけではなく、地域の人たちと一緒になって弥彦を盛り上げたいという事ですね。

早福 そうです。私自身もここでお店を始めるにあたって「自分の所だけが儲かれば良い」とかではなくて、「地元が好き、弥彦が好き」という思いで始めたので、弥彦の活性化に繋げたいと思っていました。もちろん弥彦に来てうちの店に来て下さる事は非常にありがたいことですが、うちの店が頑張って特色を出して目立つことで、弥彦に来てもらえる事に繋がる事がそもそもの願いでした。また、以前はご年配の方が弥彦に来られる事が多かったのですが、最近のパワースポットブームで、若い方やカップルなどが弥彦を訪れて下さる事が多くなりました。

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齋藤 あ~ 一時期ありましたね!パワースポットブーム。

早福 それは弥彦の地域づくりの方々が尽力して下さったおかげで若い方たちが来て下さるようになったのは素晴らしい事なんですが、そこでうちの店に若い方たちがそのまま寄って下さったりしていると、周囲のお店さんからも、「最近弥彦に若い人が増えたねぇ」と仰って下さる事が多くなったりしました。しかしただ、うちに寄るだけで神社をお参りしないで帰るお客さんも増えたのは事実です。最近はそこがジレンマだったりしています…。

齋藤 早福さんから見て「今の弥彦に足りないもの、こうなったらいいのに」と思う事はありますか?

早福 そうですね…お店屋さんが商売を頑張らなければいけないなとは感じています。地域づくりに尽力されている方もいらっしゃいますが、正直言ってまだ多くのお店屋さんが昔の新幹線開通時のようなイメージを持ってお客さんを「ただ待っている」様子もあります。そういうのが残っていると、若い人たちや各団体が頑張っているのに…そこと一体化して進められないという事もあるんですよね。「ただ待っているだけ」じゃなかったとしても、昔のイメージを少し引きずっていると前には進めないので、そこはしっかりと切り離して、「弥彦一体化」ができるのが一番理想ですね。

齋藤 弥彦一体化。素敵な構想だと思います!

早福 ありがとうございます(笑)今現状は商工会や観光協会、旅館組合や各店舗だけでなく将来的には農業関係の方々とも繋がっていけるとより良い一体化が望めると思います。

齋藤 お~農業ですか。僕もお米を作らせてもらっています。

早福 農家さんとも連携して「うちの店で使っているこの食材は〇〇〇さんという所で売ってますよ」という案内ができたりするのも理想です。今も「ジャンボしいたけ」とかあるけど、お客さんに紹介するにもどこで売ってるのかもわからないとか、実食・試食が大事だと思うので、このあたりの料理屋さんで使えるようにして販売に繋げるとか、そういうのが大事だと思うんですよね。

齋藤 観光協会とはかなり密接にお付き合いされているんでしょうか?

早福 そうですね、いろいろ商業部会とか街づくり部会とかあるので。メディア的にはいま、観光協会がかなり尽力されてますよね。一時期はやはり宣伝が弱かったのは周囲からも指摘されていて、それを改善に繋げているから今があると思います。ネットを通じての宣伝が増えてきているのでこちらもリンクを繋げていただいたりとか、そういう動きがある事はだいぶ身近に感じています。

齋藤 お店が始まって今13年経ちますが、今後はお店に関してどのような展望がありますか?

早福 店に関しては、テイクアウトできる商品や食べ歩きできる環境を作りたいというのが元々あったのですが、ちょっと場所の関係で計画できなかったところだったのですが、いずれはやりたいなと思っています。団体さんなんかは「時間が無い」とかでバスに持って帰れる環境とか新メニュー開発も考えたいですね。

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齋藤 では「弥彦」という地域について、今後の展望や目標、夢などは有りますでしょうか?

早福 弥彦全体の集客を増やしたいということですね。周囲の地域が市町村合併などをしている中、団体さんの観光バスが実は「弥彦ではトイレ休憩5分だけ」という扱いになっていることもあって。旅館組合さんとかが各自で営業に回って集客に頑張ってくださっています。実際最初の頃、私にはよくわからなかったのですが、最近では飲み仲間になっていたり、関係が通じているので、自然とそういう情報を教えてくれたりして、段々理解できるようになりました。

齋藤 人と人との繋がりが商売だけではなく、色々な考え方を教えてもらえるということですね。

早福 そうですね。私自身「弥彦をどうしていきたいか」という事に対しての具体的な考えはまだありませんが、その関係の上で協力していける体制を整えていきたいなと思っています。今までは団体さんのことなんかは(各組合等に)お任せしきりで「団体さん来ないじゃん」と不平をこぼすだけの事が多かったと思うんですが、任せきりではなくこちらも協力して動いて行かないと、本当の集客には繋がらないんじゃないかと思うんです。そういった危機感を弥彦全体で共有できたらいいなと感じています。

齋藤 現在そういう意見を共有できるお仲間はいますか?

早福 そうですね、何でも話しやすかったり、部会に誘い合ったりする40代前後の仲間がいます。同世代なので意見も共有しやすいですし、お互いに気楽に頼みあえるという関係はありがたいですね。

齋藤 そのような環境にいる早福さんですが、「弥彦の将来」をテーマにすると、現在は「希望」と「不安」、どちらが大きいですか?

早福 不安…というよりも「やっていかなければ」という気持ちが一番大きいです。希望に向ける意志の方が強いですね。不安は不安としてあるけれども、そのまま不安に思っているだけでは落ちていくだけですしね。あとは周囲の人たちを信用して、一緒に頑張っていくことが大事だと思います。人間関係ができていくにつれて私自身の自信にもなりますし、希望にも繋げられてるなと思っています。

齋藤 いまお話しいただいたような周囲の環境や「みんなで頑張ろう」というような動きは、弥彦に戻ってきた15年前と比べて変化や違いはありますか?

早福 15年前に比べると、周りが一生懸命になっているなと、違いは感じています。私自身の理解も深まったというのはありますが、それ以上に周囲が頑張っているという動きは確実に感じます。

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齋藤 最後に、読者に向けて一言メッセージをお願いします。

早福 地域性や人と人との縁もそうですが、弥彦神社の歴史や伝統も繋いでいくことであったり、「つなぐ」というキーワードが私にとって、弥彦に求めるテーマだと思っています。これからは弥彦の魅力を今までとは違う形でもどんどん表していけると思っていますので、「良い弥彦」を是非見に来ていただきたいです。

齋藤 では最後に質問させて頂きます。未来を切り拓く力になるために必要な「力」はなんだと思いますか?

【情熱ある若者大陸】オリジナルページへ(動画あり)

早福さんありがとうございました!

いかがでしたか?それぞれの視点からみるこのまちの魅力。やっぱ!燕三条ってオモシロい!!(´▽`)

 

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