湊町新潟のおもてなし前線(前編)(下大川前通り界隈(10))

明治時代、下大川通り界隈には多数の旅館が存在していました。


 明治29年の秣島(まぐさじま)旅館配置図

 秣島(まぐさじま)の中だけでなんと21も!
不思議なことに、島を外れるとそんなに旅館が見当たらなくなるんです。

…アレ、秣島の開発は明治維新からじゃなかったっけ?それまでの旅館はどこにあったんだ?

 調べましたところ、古町の一角にありました!
 明治初期、古町通り5・6番町は宿屋、料理屋、女郎屋が混在した「旅籠町」と呼ばれていました。
もともと新潟は国内でも有数の花街だったので、泊まる所はいたる所にありましたが、健全?な旅館はこの界隈に集中配置されていたようです。(詳細はまたの機会に)

 そして明治維新を迎え、島が開発され、明治19年に初代萬代橋が完成しますとこのとおり…

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温故知新潟
11/25 (03:40)

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